気にな信じるのるということは



自由にお金を使ったライフスタイルは、時代によって違うかも知れない。
でも、お金があってこその、現実があり、想像がある。

子供が親と違う道を選ぶということは、よくよくある。
親の職業を継がない子供もいる。
何代も続く歌舞伎役者などは、親も子も、さぞ苦労していることだろう。
結局は、親と同じことをしていたり、
親みたいにだけはなりたくない、と、正反対のコースで満足したり、人それぞれだろう。

自分は、自分が選んだ道が一番いい、と信じるのが一番いい。
人になんと言われようが、自分がいいと思えばいいんじゃないか?
人の声が気になるということは、自分でも、少し、後悔している部分があるからだろう。

後悔を打ち消すには、人を否定すると、じつに近道である。
「なんだ、あんなこと、あんな人。わたしのほうが、ずっと幸せよ」
そうやって、人は年を取っていく。
でも、そういう、無理やりっぽいのは、いい顔の年寄りにはならないと思う。

「なによ、あなた。ぜんぜん、それって、わたしの目から見ると、幸せには映らないわ」
モノゴトのわからない、コトの善悪を小さな子供に教えるのならともかく、大の大人に対して、
そういう余計な、お節介な、無意味な、くだらんことをまわりに示さないと、満足のいかない、
そんな人も、なかにはいるだろう。(世の中、広いんだし)
自分の優越感を満たしたいために、
そういうことは、すればするだけ、人格を貶(おとし)めるのだから、やめといたほうが、およろしいかと。

自分が納得して、人格的にも高まる、そんないい方法はないものか?
高飛車でもなく、自慢でもなく、他者を否定するでもなく、自分をけなすでも卑下するでもなく、
自分も、自分と違うコースの他者も同時に認めて、両者ともに高め合う方法は?


わざわざ、そんなことを文字にして示すわたしも、
相当、無意味人生を送っているのかも知れない。



幸せは、人それぞれ。
それで、いいんじゃない?

わたしたち、これこれこれこれで、これこれこれだから、幸せよね~~っ、
と、確認しあうと、さらに幸せ度がアップする傾向にあるようだ。
相互確認による、幸せ?すり込み倍増現象。
これは、家族、恋人、友人、仲間、なんにでも幅広く適用できる。

皆既日食をいっしょに、隣で見た、初対面同士でも、喜びを分かち合う。
キャンペーン中のお得な商品が、ほんとにお得だったりすると、客同士、手に手を取って感激し合う。

幸せの内容は、人それぞれだが、
程度の差こそあれ、だいたい共通のベーッシックな価値観はあるだろう。

似たような価値観の中で、どんぐりの背比べをするのが趣味の人は、
それはそれで楽しいのかも知れない。
幸せ自慢、不幸自慢、いろんな自慢がある。
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